2017世界トライアスロンシリーズ横浜大会チャリティーエントリーにお申込みいただきました選手の皆様、誠にありがとうございました。この度、寄附先が確定しましたのでお知らせいたします。
2009年の第一回大会からスイム会場で選手の安全と活躍を見守っている「日本郵船氷川丸」。1930(昭和5)年に竣工され、歴史を積み重ねた貨客船は、現在、山下公園のシンボルとして、スイムコースの象徴的な存在となっています。この度のチャリティー寄附金を氷川丸の保全に活用し、将来にわたって横浜港の象徴として、保存に寄与してまいります。
概 要
寄附金額 |
10,000円/1人 |
寄附人数 |
150人 |
寄附金額合計 |
1,500,000円 |
寄附先 |
日本郵船氷川丸 |
寄附理由 |
(1)ポンツーンから飛び込み、氷川丸に向かって泳ぐスイムコースは選手にとって、ま
さに横浜を連想させる大会の象徴的な存在であるとともに、将来にわたって横浜港の象徴と成り得ることが期待できる。 |
氷川丸とは
氷川丸
スイム会場の山下公園前に1961 (昭和36)年以来係留している1万トン級貨客船です。
1930(昭和5)年に横浜で建造され、シアトル航路へ就航した貨客船です。太平洋戦争では病院船として、そして終戦直後は引揚者の輸送に活躍しました。その後、貨客船として1960(昭和35)年まで北太平洋航路で運航を続けました。戦前より現存する貨客船であり、アールデコ様式の船内のインテリアなど貴重な産業遺産として、2003(平成15)年に横浜市の有形文化財、2016(平成28)年8月に国の重要文化財に指定されました。
歴 史
氷川丸、横浜で誕生!
1930(昭和5)年 横浜船渠株式会社で竣工しました。この横浜船渠は、現在のみなとみらい地区のランドマーク・タワー付近にあった造船所で、氷川
丸はまさに生粋の“ハマっ子”と言えます。
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(リンク先:日本郵船氷川丸歴史の生き証人「氷川丸」の歴史~その1~)
チャップリンも乗船!
客船サービスの良さが評判を呼び、1932(昭和7)年チャールズ・チャップリンが乗船。チャップリンが、日本橋で食べたてんぷらがお気に入りだと聞いた氷川丸の料理人はその店へ見習いに行き、氷川丸のルームサービスで同じ味のてんぷらを提供し、とても喜んでもらえた、と言うエピソードがあります。
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(リンク先:日本郵船氷川丸歴史の生き証人「氷川丸」の歴史~その2~)
貨客船復帰から引退へ
1953(昭和28)年、11年ぶりにシアトル航路へ復帰。1960(昭和35)年最終航路を経て横浜へ戻り、現在の山下公園へ係留。氷川丸は、船齢30年に達し第一線を退くまでに、太平洋横断254回、船客数は2万5千余名と、大変
活躍しました。
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(リンク先:日本郵船氷川丸歴史の生き証人「氷川丸」の歴史~その3~)
氷川丸と横浜の関わり
生粋のハマっ子である氷川丸ですが、最後の航海後には解体の危機もありましたが、市や市民の存続を望む声、当時の神奈川県知事や横浜市長から青少年の海事海洋思想普及のためにとの要望があり、1960(昭和35)年12月に宿泊施設を兼 ねた観光船となりました。
横浜市は直営による運営会社を設立し、戦禍の中を生き残った貴重な氷川丸を保全・運営し、横浜のシンボルとして多くの人に愛され、コンサートやパーティー
など多く催しが開かれました。
2008(平成20)年、日本郵船氷川丸としてリニューアルオープンし、除夜の汽笛は横浜の大みそかの風物詩となっています。
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(リンク先:日本郵船氷川丸 歴史の生き証人「氷川丸」の歴史~その4~)
氷川丸とトライアスロンの関わり
(1)スタートセレモニーでの汽笛 エリートスタート前に汽笛を鳴らし、大会を盛り上げていただいています。 |
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(2)大音量スピーカーの設置 津波対策として、大音量スピーカー「LRAD」を設置させていただいております。選手はもちろん観戦者やスタッフの安全を船上から見守ります。 |
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(3)横浜大会のシンボル 横浜大会、特にスイム会場を象徴する氷川丸は、ポスターやチラシなど多くの大会PRツールに登場し、横浜で開催されるトライアスロン大会を印象付けるまさに大会のシンボルとなっています。 |
お問い合わせ
世界トライアスロンシリーズ横浜大会 組織委員会事務局 電話番号:045-680-5538 FAX:045-641-2371 E-mail:info@yokohamatriathlon.jp |